こんばんは。眠れないのでブログを書くよ。
正確には仕事終わって帰ってすぐ寝ちゃって。さっき起きてお風呂入ったら眠れなくなっちゃいました。は〜〜、明日も仕事だから寝ないとなあ。
さて、先日とある機会があって夏目漱石の『私の個人主義』を読みました。
半ば強制的に読まされたのですが、絶対自分だと手に取らないジャンル。これが思いの他面白かったので、少しメモしておきます。
限られた時間の中で読んだので全部読めてはおらず、漱石が学習院大学の学生に向けての講演を記録した部分を抜粋して読みました。
その中で、下記の文章が心に残りました。
比喩で申すと、私は多年の間懊悩した結果ようやく自分の鶴嘴をがちりと鉱脈に掘り当てたような気がしたのです。
この一文は、ロンドン滞在中に他人本位な状態に身を置き続けた結果、神経衰弱になった漱石が、結局自分の進むべき道は自分で見つけるしかないと、「自己本位」の境地を探り当てた時を比喩で表したものです。
共感。
漱石と私自身を重ねるのは大変恐れ多いのですが、、、。このブログにもちょこちょこ書いていた通り昨年の秋〜冬にかけて仕事面ですごく悩むことが多くて。主に仕事における「自分自身の在り方」についてなのですが。
その時に社内外問わずに色んな人に相談させていただき、色々アドバイス貰うものの中々自分の中にしっくりとインプットできず、悶々と考える日々が続いてました。けれど昨年末くらいにようやく「ああ、こういう感じで頑張っていこう!」と思うことができ、その時の感覚がまさに漱石の言葉を借りると「自分の鶴嘴をがちりと鉱脈に掘り当てたような」感覚でした。
色んな人からアドバイスを貰ったのは決して無駄ではなかったんですが、どこか他人本位な自分がいて。その時はしんどくてしんどくて、その状態から抜け出せるなら何でもいいと他人の模倣に無意識に走ろうとしてたんだと思う。
けれど結局、自分のことは自分で決めないといけないし、自分の悩みにとことん向き合えるなは自分しかいないから、とことん向き合って自分なりの答えを見つけださないといけないんだなと思いました。
漱石の言葉を借りると「自己本位」の姿勢を持つ。
漱石の長年の懊悩に比べたら私の悩みなんてミジンコみたいなもんだと思うのですが、読んでて思わず「漱石、わかるわ〜!ほんまそれ。」と共感してしまいました。いや、友達かよ。
これから悩むこと立ち止まること、仕事関係なくいっっぱいあると思うんですが、漱石が作中で「ああここだと掘り当てるところまで行ったらよろしかろうと思うのです。」と仰ってるように、とりあえず鶴嘴を握って掘り進めていこうと思います。
…そもそも私の鶴嘴が掘り進めれるほど鋭利なものなのかわかりませんが。まあ!とにかく!鶴嘴を握って掘り進めることが大事!
はい、以上、夏目漱石の『私の個人主義』の感想でした。なんか漱石って『こころ』とか『草枕』とか日本の代表たる小説家のイメージがあったのですが(あと千円札のイメージ)、こんな実体験に基づく講演記録を読むと少しだけ親近感湧いてきました。
漱石の小説、ちゃんと読んだことないから読んでみようかな〜〜。
余談ですが、私の好きな小説のシリーズ『神様のカルテ』の主人公、栗原一止が夏目漱石のことを愛してやまないのキャラなので、それもあって漱石気になってます。笑
(先日、4年ぶりに待望のシリーズ新作が出て!!おもわずハードカバーで買っちゃいました!!)
よし、以上です。明日も仕事だ〜〜、寝ないと寝ないと。おやすみなさい!